掲載組織プロフィール
国立大学法人東京科学大学 情報理工学院 小池 英樹 教授
東京科学大学 情報理工学院では、情報技術を基盤とした次世代の教育・研究を推進しており、サイバーセキュリティをはじめ、社会課題の解決に資する高度な情報システムの研究開発にも取り組んでいます。
小池研究室では、人間にとってより使いやすく、より楽しいコンピュータインタフェースを追究する Human-Computer Interaction の研究を行っています。既存の技術や概念にとらわれることなく、未来の技術進化を見据えながら、ハードウェアとソフトウェアの両面から次世代の対話型システムの実現に挑んでいます。
その大きな研究テーマの一つが、「技能獲得支援」です。スポーツ、音楽演奏、リハビリ、さらには医療現場における手技など、熟練者が持つ身体的な技能をデータとして捉え、学習者や患者にわかりやすくフィードバックすることを目指しています。
AIやロボット技術が急速に進化する中で、人間の知的作業や身体作業の多くが機械に置き換えられつつあります。その一方で、小池研究室では「人間自身も強くなっていく必要がある」という考えのもと、人の動きや技能を計測・理解し、それを他者へ伝えるための研究に取り組んでいます。
本記事では、その研究テーマの一つである、インソール型圧力センサーを用いた身体姿勢推定の取り組みについて紹介します。

導入の経緯
カメラに依存しないモーションキャプチャへ
人の動きを正確に計測する方法として、これまではカメラ式のモーションキャプチャが広く用いられてきました。カメラを設置した空間で身体の動きを撮影し、姿勢や関節の動きを解析する方法です。
しかし、カメラ式には大きな制約があります。計測できる場所が、カメラを設置した専用空間に限られてしまうことです。病院や研究施設など、設備の整った場所では高精度な計測が可能ですが、日常生活の中で自然な動きを測ることは容易ではありません。
特にリハビリの分野では、この制約が課題になります。患者は病院内の特殊な環境で歩行計測を行うため、普段とは違う歩き方になってしまうことがあります。緊張や環境の違いによって、日常生活での自然な歩行が十分に反映されない可能性があるのです。
そこで小池研究室が着目したのが、靴の中に入れて使用できるインソール型圧力センサーです。
足裏の圧力から、全身の姿勢を推定する
一般的なインソール型圧力センサーでは、足裏のどこにどの程度の圧力がかかっているかを計測できます。通常は、歩行時の荷重バランスや重心移動の分析に使われます。
本研究の特長は、その足裏の圧力情報から、単なる荷重だけでなく、装着者の3次元的な身体姿勢まで推定しようとしている点にあります。たとえば、手を上げているか、背骨が曲がっているか、足がどのように上がっているかといった情報は、通常、足裏の圧力だけを見ても簡単にはわかりません。しかし研究室では、独自の深層学習ネットワークを構築することで、足裏の圧力分布から全身姿勢を推定する技術の開発に成功しました。これにより、カメラを使わなくても、インソールセンサーだけで身体の動きを推定できる可能性が見えてきました。
高解像度センサーで学習し、低解像度センサーで応用
この研究では、複数のインソールセンサーを使用しています。一つは、高解像度で多チャンネルの足底圧力情報を取得できるセンサーです。高精度な圧力データを得られるため、トップアスリートの動作分析や、研究用の正確なデータ取得に適しています。小池研究室では、235センサー/150Hzのスペックを持つXsensor社のインソール型圧力センサーを使用しています。
一方で、実際に社会実装していくためには、より扱いやすく、コスト面でも導入しやすいセンサーが必要になります。そこで比較的低解像度のインソールセンサーでも同様の姿勢推定がどの程度可能かを検証してきました。
検証用には16センサー/100Hz仕様のMoticon社のインソール型圧力センサーを採用しました。
高解像度Xsensorインソールで取得した正確なデータを用いて深層学習モデルを訓練し、その学習結果を低解像度Moticonインソールにも応用する。この二段階のアプローチにより、限られたチャンネル数のセンサーでも、目的に十分耐えうる姿勢推定が可能であることがわかってきました。これは、研究室レベルの高精度な計測から、日常生活や臨床現場で使える実用的なシステムへと展開していくうえで、重要な成果です。

スポーツ、ヨガ、ジョギングからリハビリまで
小池研究室では、この技術を今後さまざまな分野で応用していくことを計画しています。
たとえばスポーツでは、選手が正しい姿勢で動作できているか、足の上げ方や身体の使い方に問題がないかを、センサーを履くだけでフィードバックできる可能性があります。ジョギングやヨガのような日常的な運動でも、身体の使い方を可視化し、より安全で効果的なトレーニングにつなげることができます。
さらに将来的な応用先として重視しているのが、医療・リハビリ分野です。高齢者の歩行訓練、けがをした人の回復過程、脳梗塞などによって歩行機能に障害を受けた方のリハビリなどでは、日常生活の中でどのように歩いているかを把握することが重要です。
インソールセンサーであれば、自宅で普段通りに履いてもらうことができます。そのデータをネットワーク経由で医師や理学療法士に共有できれば、患者が病院に来なくても、日常の歩行状態をもとに遠隔で助言や指導を行うことが可能になります。特殊な計測室ではなく、生活の場で自然な動きを計測する。そこに、この研究の大きな意義があります。
「技能をコピーし、伝える」ための研究
また、本研究は単なる姿勢推定技術にとどまりません。その根底には、熟練者が持つ動作や技能をデータとして捉え、それを他者に伝えるという大きな構想があります。
スポーツ選手のフォーム、音楽家の演奏動作、ダンサーの身体表現、医師の手技、リハビリにおける正しい歩行。これらは言葉だけでは伝えにくい、身体に埋め込まれた技能です。小池研究室では、こうした技能を計測し、学習者や患者にフィードバックすることで、より効率的な技能習得や回復支援につなげようとしています。
現在は足裏の圧力を中心に研究が進められていますが、将来的には手指の細かな動きを計測するグローブ型デバイスなどとの連携も考えられます。ピアノ演奏やダンス、伝統芸能の継承といった分野にも、応用の可能性は広がっています。
製品への期待と今後の課題
研究に使用されている高解像度インソールセンサーは、高い計測性能を持つ一方、靴の中に入れて踏み続けるという使用環境上、耐久性やコストとのバランスは重要です。
また、スキーなど屋外・水分を伴う環境での利用を考えると、防水性への期待もあります。現在はラップなどで保護しながら使用しているものの、より安心して使える仕様になれば、応用範囲はさらに広がるでしょう。
低解像度インソールセンサーについては、コスト面や使いやすさに加え、IMUセンサーを搭載している点を評価しています。一方で、ボタン電池部分の厚みや接触安定性については、スポーツ選手など足にぴったり合った靴を使うユーザーにとって、履き心地への影響が課題になる場合もあります。将来的に一般家庭での利用を想定するなら、コスト、薄さ、履きやすさ、耐久性のバランスがさらに重要になります。
日常の動きを計測し、人の可能性を広げる
小池研究室が目指しているのは、研究室や病院の中だけで完結する計測ではありません。人が普段生活している環境の中で、自然な動きを測り、その人に合ったフィードバックを返すこと。その先には、スポーツの上達、リハビリの高度化、遠隔医療、技能継承、さらには人間の能力を引き出す新しい学習支援の形があります。
AIやロボットが進化する時代だからこそ、人間の身体的な技能や感覚をより深く理解し、支援する技術が求められています。インソールセンサーから全身の姿勢を推定する小池研究室の取り組みは、カメラに依存しないモーションキャプチャの可能性を広げるだけでなく、「人が人から技能を学ぶ」ための新しい基盤技術として、今後の社会実装が期待されます。